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ヤス生存及び幾子である可能性と意味

 まず、生存の可能性ですが、ヤスがEP8魔法エンドでベアトと同じように自殺したとしても、絶命したとは書かれていませんし、「死んだ」と赤字で言われてるわけでもないので、一命をとりとめた可能性は否定できません。

 次に、ヤスと幾子が同一人物であると解釈出来る部分をあげます。

・幾子という名前
十八ありきの名前であるようにみえる。本名で無い可能性がある。
いく子→19子。19は六軒島当主の重要な数字

・幾子の口調
荘厳な言い回し、相手のこと「そなた」と呼ぶ等、ベアトリーチェに似ている。

・八城幾子のプロフィールがヤスと重なる。
名を知られた名家→右代宮、できのいい兄たち→蔵臼たち、ゆかいな事件→六軒島爆発事故等

・幾子の趣味
推理小説を読むこと、そして書くこと。

・幾子の服装
体型がわかりにくい服装。身体を隠すようなロングスカート、室内でもコートを着ている。
胸元を気にするかのようなストール(縁寿らにはジャケットを着ているにも関わらず胸を強調するラインが描かれているのに対し、幾子にはそれがない)
身体にコンプレックスを抱いているかのような服装はヤスに通じるものがある。

・装飾
ベアトと理御それぞれのブローチと同じ色の装飾品を付けている。
茶色に白のフリルは紗代の私服に似ている。

・ベアトと戦人はエンジェに送るメッセージとしてゲームを開催した。
縁寿は偽書を通して幾子と十八からメッセージを受け取っていた。

・縁寿の元に戦人を帰さない魔女
縁寿の元に兄を帰さないのは幾子

・十八と幾子は結婚をしていない。子供もいない。
戦人とヤスならば血縁関係で子供を成すのは難しい。

…など
これらは幾子がヤスであることを確定する決定的な証拠にはなりませんが、今思い浮かぶだけでもこれだけの思わせぶりの描き方がされています。自分で挙げておいて何ですが、これだけあると逆に疑わしくも感じます。
むしろ、同一人物でないからこそ、似せようとしているのではないか。同一人物ではない。だからこそ似せて同一人物であると読ませたい。そういう意思があるように感じます。ならば、その意思を持って物語を紡いだ人物とは誰か。それは戦人ではないでしょうか。
{縁寿や幾子(ヤスではない人物)の可能性もあるのですがそれはまた別の記事で}

この戦人のそばに、ヤスはいないのでしょう。
だからこそ、生きていると思わせるような物語を書いた。ヤスに生きて欲しかった。生きていたら、きっと幸せになれたはずだと、証明したかったのではないでしょうか。

 EP7で初めて登場する理御は「もしも過去が違っていたら」という可能性の存在でした。幾子はその未来版とでも言いましょうか。
 八城幾子とは「もしもヤスが生きていたらあり得た未来」の象徴であり、そのように描かれていると私は思います。
そう思ったのは、魔法エンド????のラストの語り手が幾子であることが一番の理由です。

八城が福音の家に着いたシーンは三人称で語られていますが、施設の中に入ったところから一人称に変わります。

十八の車椅子を押しながら、私たちは廊下を進み、突き当たりの大扉に辿り着く。

十八の車椅子を押しているのは幾子で間違いないでしょう。

「ここ…‥は…………。」
そのホールの光景に、……十八は、絶句して目を大きく見開く。
ここは六軒島の屋敷の、ホールだった。
違う、そんなはずはない……。

「ここは」と言って絶句しているのは十八ですが、地の文では幾子が六軒島の屋敷のホールだったと断言しています。
幾子が六軒島と無関係ならば、屋敷のホールと断言できるはずがありません。

私は、ただただ、呆然としていた。

幾子、いいえヤスは、魔女の肖像画を見て呆然とします。
そして、子供たちに迎えられ笑顔に包み込まれます。

あぁ、……知ってる。……みんなの顔を、……私は知っている……。


ヤスは自分の生み出したキャラクターたちに迎えられ、十八を生かす為に封印した自分―ベアトリーチェの姿を取り戻します。
ここは、魔法的に言うならば、反魂の魔女エンジェの魔法により全ての魂(キャラクター)と魔女ベアトの姿を復活させたシーンであり、現実的には「縁寿が幾子の正体を分かった上で、彼女のことを許した」という表現であると解釈できます。

そして、ベアトは即座に自分の役割を理解し、十八から戦人を引き離しました。二人はみんながいる黄金郷で永遠に幸せにくらしました。

この物語を、最愛の魔女ベアトリーチェに捧ぐ



 未来に「縁寿は兄と再会することができ、黄金郷で全ての恋人たちが幸せになり、現世を生きる自分たちも幸せになれる可能性があったんだよ」と、「だから生きていて良かったんだよ」と、戦人は“彼女”に言いたかった。だから物語を書いて、ベアトリーチェに捧ぐと結んだのでしょう。

この戦人の世界に、ヤスはきっともうどこにもいません。
「なぜ“彼女”が死ななくてはならなかったのか」とずっと考え、「“彼女”が死ぬ必要などなかった」というひとつの答えが出た。

ただ、紡がれた世界の住人からしてみればヤスは生きているのです。
ヤス=幾子もヤス≠幾子もどちらもそれぞれの世界では、その中に限りそれが真実なのである。
それが『うみねこのなく頃に』の世界観なのだと私は解釈しました。
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おはようございます。
このブログには個人的な解釈・妄想が多分に含まれますが、別解を否定する目的はありません。元より、相違だけで否定出来るはずもありません。
ただ私も魔女になりたい。そのための修行の場なのです。

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